起業は究極の遊び

すべての顧客&社員&取引企業が輝くことの出来る「日本で一番大切にされる会社」「社会にとってかけがえのない会社」「地域にとってカッコいい会社」を創造するためのヒント。 さらには、会社にとって、社会にとってかけがけのないビジネスパ-ソンになるためのヒントのおすそわけ!

一所懸命

田中真澄氏(社会教育家)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・

人は理詰めの理論だけでは説得されない。

幕末から明治にかけて活躍した有為な人材の中に、萩の吉田松陰の塾出身者が多数いたことは、読者がよくご存知のことである。

あの萩には、当時、全国有数といわれた藩の学校があり、士族の子供はそこで学んだ。

松陰の塾は貧しい私塾であったが、なぜ藩高から人材が出ず、塾から出たのか。

それは吉田松陰人間性に子弟が啓発されたからである。

藩の教師は教科書の説明者に終わった。

理屈だけで勝負した。

だから生徒は変わらなかった。

塾の生徒は松陰の熱情に動かされた。

人は感情によって、より大きく動かされるのである。

世間は、社会的に意義ある仕事を一所懸命やっている人を見殺しにはしない。

その姿に人はいつのまにか心を寄せるのである。

私が以前住んでいた町に起きた出来事をご紹介したい。

ある日、突然、一青年が町なかにある、道路ぎわの空地で、青空八百屋を開いた。

どこのだれだかわからないその青年に、町の人は声をかけられるのを恐れ、その前を避けるようにして通っていた。

青年は、寒空に頬を真赤にしながら毎日がんばっていた。

夜になると野菜を積んできたトラックのライトを灯の代わりにつけて、道ゆく一人ひとりに呼びかけ遅くまで働き続けたのである。

二~三日は何の変化もなかった。

私などは、もうそろそろ青年はあきらめて立ち去るだろうと見ていた。

ところが四日目頃から客がつきはじめ、一週間、一○日と経つうちに、主婦たちが自転車でどこからともなく買いにくるようになったのである。

そして、一ヶ月頃には、夕刻の買い物の時間帯には、店の前は人だかりができるようになっていた。

私は、どうしてこんなに主婦が立ち寄るようになったのか不思議でならなかった。

いい忘れたが、彼の店の近くには昔からの八百屋が二軒もあるのだ。

数人の主婦に聞いてわかったことだが、その原因は、彼の誠実な姿にあった。

店を持つほどの資力のない彼には、体をはって一所懸命にやるしかないという必死の気持ちがあったようである。

道ゆくみんなが、心の中で青年を励ましていた。

人は、他人の熱誠あふれる行為には弱いのである。

精一杯やっている姿を毎日見せられると、つい心は動いてしまう。

阪急の創立者小林一三氏は著作の中で、こう書いている。

「平凡な事を忠実に行って平凡の非凡を発揮し得る青年が極めて少ない。

百人に一人と言いたいがそれも怪しいのである。

平凡な事を行ったのでは認められないと思う者もあるだろう。

然しこれは間違った考えである。

平凡なことを繰返し一年二年三年と行っているうちに、必ず使うものから認められて、出世の緒が開かれるのである」

氏は、つねに平凡主義を唱え、功をあせり、すぐ結果を求めることをいさめていたのである。

(積極的に生きる/田中真澄)

現在は自分の実力を蓄えるのではなく、いかにアピ-ルするかを考えている人が多いように思います。

また“労少なく益多し”の人生が素晴らしいととらえられている風潮があります。

このような風潮は、人々から“一所懸命に働くことの大切さ”を奪い取ってしまっているような気がするのです。

ここで、著書の中にもありますが、武田鉄也さんの曲、「母に捧げるバラ-ド」の中の一節をご紹介させていただきたいと思います。

 

鉄也、わたしが一つだけいうとくがなあ、人さまの世の中に出たら、働け、働け、働け、鉄也。

働いて、働いて、働き抜いて、休みたいとか、遊びたいとか、そんなことおまえいっぺんでも思ってみろ。

そんときゃ、そんときゃ、死ね。

それが人間ぞ、それが男ぞ。

おまえも、花の都に出ていくかぎりは、誰にも負けたらつまらん。

かがやく日本の星となって、帰ってこいよ。

 

一所懸命に働く、いや働き抜く姿は人を熱くさせます。

と同時に至誠の二文字を心の中に芽生えさせるように思います。

よくよく考えてみれば死んだら好きなだけ休むことが出来ます。

それまでは一所懸命、人生を生き抜くことがいのちに対する礼儀でしょう。

誰よりも一所懸命働いて、働き抜いて輝く日本の星となる・・・、たった一度の人生、そんな生き方をしてみたいものです。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。