目が隣の人間や自分の国の中にしか向いていないのですよ・・・
高任和夫氏(小説家)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
独創の闘士 西澤潤一氏
「人間というのは大体考える葦ですから、頭の中に知識が入ってくると、お互いをつないでみたり比較してみたりし始める。
いろんな形でつながるとネットワ-クができるわけです。
そして、その隙間のところもだいたい類推がつきますから、ここのところをやってみるとこんなことが出てくる、とわかるようになる。
これが創造ですね。
とにかくバラバラな知識をネットワ-ク化していくようにならないと、アイデアが出てこないのです」
ところで数年間、暗記中心の受験勉強をやればどうなるか。
考えようとしない人間が誕生するのだ。
そして、その拠り所は、世間的に通用する権威や先例やブランドである。
官僚などの学校秀才がなぜ創造的な思考と無縁であるか理解できるというものだ。
さらに受験勉強は競争の原理が支配する。
「しかし、目が隣りの人間や自分の国の中にしか向いていないのですよ。
だから、隣りで少しでも早いやつがいると蹴飛ばしたくなる。
逆に、外国にはベタベタになっちゃうわけですよ」
後者については、たしか司馬遼太郎が興味深い指摘をしていた。
明治以来、大学は西洋文明の配電盤の役割を担っていたから、どうしてもよく理解せずそれに追従してしまう癖があるし、一方では日本のオリジナルなものを評価できないのだ、と。
西洋文明を紹介するという大学の歴史的使命はとっくに終わっているのに、いまだに外国にベタベタするとはいささか情けない。
しかし、もっともっと怖いことがある。
「考えない教育が広まると、自分の人生をいかに生きるかという人生観が生まれないわけですね。すぐ金や権力が欲しいと短絡してしまう」
(仕事の流儀/日経BP)
西澤潤一氏は光通信の開発で独創的な業績を挙げ、「ミスタ-半導体」、「光通信の父」と呼ばれる独創の闘士。
しかし当初はその着想が先進的過ぎて理解者に恵まれず、また同業研究者からも攻撃され、日本ではなくアメリカで先んじて開発に成功することも度々であったといいます。
西澤潤一氏はそんな人間の持つ独創性を評価しない日本人の悪い特性について、その最大の禍根は思考中心ではなく、暗記中心の教育にあるのではないかと考えていたようです。
私も思うのですが、人間は考えなくなると依存心が大きくなり、目先の利益のみにもっぱら目が行くようになります。
そして目先の利益ばかり追い求めるようになりますから、自分の人生観など興味が湧くはずもなく、益々享楽的な生活に拍車がかかってします。
これこそが人間の創造性、独創性をさらに弱める結果になってしまうように思うのです。
もっとお金が欲しいと思ってもいいのです。
しかし、自分は何者なのか?何のために生きているのか?そして何のために事業を行っているのか?ということをしっかりと自覚した上でお金儲けをするべきだと思うのです。
今現在、参議院選挙真っ只中ですが、既存政党の候補たちは選挙に当選することが目的になっているように思います。
でもそれは手段のはずです。
本当の目的は日本を豊かにするということです。
自分の独創性を引き出し、さらに他人の独創性を認められるようになるにも“考える”習慣を大切にしたいものです。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。