花に託して心をいける
勅使河原茜氏(草月流家元)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
植物には空間を変貌させる力があります。
たとえば、空き瓶にぽんと草花を一輪挿して置いただけで、その空間はたちまち優しい表情を見せるようになります。
植物は生きています。
とりわけ花は、表情が刻々と変わります。
生命力に満ちた自然界の存在が、人工の産物である屋内空間に持ち込まれる。
それだけで、場の空気を変えてしまう力があるのです。
花そのものはどれも、ただひたむきに咲くだけです。
どんな花をどのようにいけるかは、いけ手がその空間にどんな表情を与えたいかという思いによって変わってきます。
深紅のバラが百本ほどいけられていたら、そこは華やかさに満たされます。
同じ空間に、菖蒲がすっといけられたら、そこには凛とした清々しさが漂います。
それぞれの花の持つ風情の違いもありますが、それを含めてその空間にどんな花をどのようにいけるかは、いけ手次第です。
いけばなとは何かを一言で言いきるのはとてもむずかしいのですが、一つはっきりと言えることは、「いけばなは、植物そのものが持っている空間を変貌させる力に、いける人の気持ちがプラスされることで成立する生きた芸術である」ということです。
「利休の朝顔」といわれる有名なエピソ-ドがあります。
利休の家の庭で朝顔がじつにみごとに咲いているといううわさを聞いた秀吉が、その朝顔を見てみたいと利休に所望します。
では、と利休の屋敷で朝顔の茶会が催されることになります。
秀吉が招かれて行ってみると、庭の朝顔は一つ残らずすべて摘み取られており、茶室にただ一輪の朝顔がいけられていたというのです。
これは利休の思いがよく表れている話です。
朝咲いて昼にはしぼんでしまう朝顔の儚い美しさを太閤秀吉にどのように見せるのが最もよいか、利休は茶室の一輪にそれを凝縮して見せたのです。
こうした思いは、利休の考え方、生き方そのものを投影しているといえます。
いけばなには、その人の思い、性格、日頃の考え方などがつぶさに出ます。
隠そうとしても出てしまいます。
美しい花があれば、どういけても美しいいけばなになるというわけではありません。
その空間を自分はどのように変えたいのか。
その「思い」を花に託すのがいけばなの心であり、花をいけることは自分の心をいけることなのです。
(いけばな/角川oneテ-マ21)
いけばなというと一般的には女性が教養のためにたしなむものというイメ-ジが強いと思いますが、実はその歴史を振り返ってみると、長い間、男性中心のものであったといいます。
文化芸術の担い手は武士であり、花をいけるのは武士のたしなみであったと・・・。
それは花をいけるという行為は、人を生かすことにも通じるということを潜在的に理解していたからではないでしょうか。
様々な個性ある花たちを、ある特定の場所に“いける”・・・、そしてその場を美しく彩る・・・。
これこそ人育ての極みではないでしょうか。
今回、勅使河原氏の書籍との出会いにより、自分自身、いけばなの世界の奥深さに心打たれました。
そして、その世界に触れてみたいという思いを強くしました。
現在では、男性のためのいけばな教室もあるといいます。
もちろん教養のためにいけばなを学んでもいいと思いますが、人育ての名人になるためにいけばなを学ぶ・・・、機会を見て是非参加してみたいものです。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。