起業は究極の遊び

すべての顧客&社員&取引企業が輝くことの出来る「日本で一番大切にされる会社」「社会にとってかけがえのない会社」「地域にとってカッコいい会社」を創造するためのヒント。 さらには、会社にとって、社会にとってかけがけのないビジネスパ-ソンになるためのヒントのおすそわけ!

「病気にくわしい人」より「元気にくわしい人に」

玄侑宗久氏(福聚寺住職)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・

世の中には「病気」と「元気」があります。

変な話ですが、「糖尿病専門のお医者さんは、なぜ糖尿病になりやすいのか?」

「がんの専門医は、なぜがんになりやすいのか?」と、いうことを考えると、人が頭でイメ-ジしたものは、それだけで力を持ってしまうということがいえるかと思います。

たとえば、青空に白い雲がある様子を、思い浮かべないでください。

どうですか、思い浮かべてしまったでしょう。

このように、「思い浮かべるまい」と想うことと、「思い浮かべよう」と想うことは、結果的には同じ効果があるのです。

同様に、「がんにだけはなりたくない」というふうに思うのは、「がんになりたい」と思うのと、ほぼ同じ力を持っているということです。

「なりたい、なりたくない」という述語の部分は関係ないんです。

だからおそらく、「思い描いてしまったイメ-ジは、大きな効果を発揮してしまう」ということがあるのでしょう。

話題になりやすいのは、「元気」よりも「病気」のほうですが、病気についてくわしくなることは、考えものです。

どうせなら、「元気」についてくわしくなってもらいたいと、私は思います。

(自燈明/三笠書房

医学博士の佐藤富雄氏もこうおっしゃっています。

私は言葉の力を知っていますから、健康の話をしているときであっても、「こうしたら心臓病になる」とか、「こうしたらガンになる」とかいう話は絶対にしませんと・・・。

話をするのは「こうしたらあなたは100歳まで健康で元気に生きられる」といった内容であると・・・。

確かに人々の間で意図的に話題にしたり、また行動を促しやすくするためには、「こうしたら心臓病になる」とか、「こうしたらガンになる」といったように不安や危険を煽った方が有効なのかもしれません。

しかし、これでは確実に人々に「心臓病」や「ガン」の恐怖を植え付けることになってしまいます。

そしてそれがやがて現実になる・・・。

その裏付けとして厚生労働省のレポ-トによると、日本人男性の2人に1人、女性の3人に1人ががんになると記載されています。

私もこのような伝え方には常々疑問を感じていました。

一方で、「こうしたらあなたは100歳まで健康で元気に生きられる」・・・、これは「健康」であると同時に「元気」な状態をイメ-ジさせてくれます。

やはり話題性には欠けるかもしれませんが、こちらの方が心地良い・・・。

「病気」より「健康」や「元気」に詳しくなる・・・、自分自身のためにも、また人に伝える時にも心がけていきたいものです。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

「目標を持って生きる」生き方を超えよう

坂田道信氏(ハガキ道創始者)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・

毎日が種まきだなあと必死になって・・・種まきという感じでずっと種まきをする人と、もうその意識がなくなって、生きている姿そのものが、種まきになってしまう人がいるのです。

これがいちばんおもしろくなる。

初めは、やはり意識的に種まきをするのです。

ところが、もう無意識に種まきをするようになる、そういうふうな生き方です。

ただ、ある時期までは、生きるというのは種まきと思っていないのです。

そういう勉強をしないとわからない。

相手方がデ-タを送ってきても、私の人生には関係ない。

私は、夜がくれば眠って、朝がくれば起きて会社へ行って、ごはんを食べて・・・と思っているでしょう。

ところがそれが、一日の私の行動が、全部私の人生を、一生を毎日刻々と作りあげていくデ-タを作っていくのだということに気がついてから、そこからの人生が、私たちの本当の人生なのです。

こういう考え方を自分のものにしていただきたいと思うのです。

すると次第に自分自身でやれるようになるのです。

これはかなり目標が早く近づいてくる。

十年の目標を立てられたら、おそらく三年か四年、上手になったら、その目標がだんだん近づいてくる。

目標のほうから近づいてくるようになるのです。

初めは、私から目標のほうへ歩きだすのです。

ところが、だんだん上手になってくると、目標のほうから私のほうへ近づいてくるようになる。

そういう実感が、だんだんわかりかけてきます。

初めは、この目標をやるためにはこういうことをやらなければいけないと、目標に合ったような人生を送りだすのです。

ところが今度は、もうそんなことは無意識に日々毎日が種まきになって、目標などは飛び越えてしまうのです。

(ハガキ道に生きる/坂田道信)

目標を持って生きることはとても大切なことだと思います。

しかし、その段階にだけとらわれていてはいけないことを坂田道信氏は私たちに思い出させてくれます。

目標を持つ人生から、目標を持たないで生きることが出来るようになってこそ、本当に生きているということになる・・・。

それでも初めのうちは大いに種まきが必要です。

汗をかく必要があります。

時折、種をまくという行為はせずに花が咲くことだけを願っている人がいますが、この地球という星はそういう星ではありません。

目標や夢を達成するには、夢想家ではなく、実践家にならなければなりません。

バラの美しさを愛でてみたいのであれば、バラの種をまかなければなりません。

行動しなければならないわけです。

近い将来、目標や夢を追いかける人生ではなく、目標や夢から追いかけられるような人生を形創っていきたいものです。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

怒りの蛇を、口から出すのは下等の人間

岡本一志氏(仏教講師)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・

私たちは、ちょっとしたことで腹を立ててしまいます。

怒りの炎は、一度、燃え上がると自分ではなかなか消せません。

どうしたら、この怒りの心をなくせるのかと、悩んでいる人も多いと思います。

そもそも怒らない人、腹を立てない人はいるのでしょうか。

有名な古典『軟異抄』(たんにしょう)の中には、人間のことを「煩悩具足の凡夫」(ぼんのうぐそくのぼんぷ)と書かれています。

つまり、「煩悩によってできているのが人間である」ということです。

私たちは、煩悩・・・、欲や怒りや愚痴の心の塊だといわれているのですから、腹を立てない人など、いるはずがありません。

お釈迦さまは、怒りについて、次のように教えられています。

「怒りの蛇を、口から出すのは下等の人間。歯を食いしばって、口から出さないのが中等。胸に蛇は狂っていても、顔に表さないのが上等の人間である」

怒りのままに、ガ-ッとどなり散らしてしまう人。

「ここでキレたらまずい」と、怒りが爆発するのを、必死に抑えている人。

どんなに腹が立っていても、ぐっと飲み込んで、表情には出さない人。

怒りの蛇は、誰の心にも逆巻いていますが、忍耐してこそ幸せになれると説かれています。

さらにお釈迦さまは、腹が立った時の受け止め方に三とおりあることを、次のような例えで教えられています。

「水の上に書いた文字は、書いたそばから流れて消える。砂の上に書いた文字は、しばらくして消える。岩に刻んだ文字は、いつまでたっても消えずに残っている」

つまり、「腹が立っても、すぐに忘れてしまえる人」

「しばらくたたないと気持ちが落ち着かない人」

「いつまでたっても不愉快だったことを思い出して腹を立てている人」と、三とおりあるのだと言われています。

(幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く/1万年堂出版)

怒りを感じた時、そのまま流して消してしまうことが出来ればいいのでしょうが、なかなかそうはうまくいきません。

著者の岡本一志氏は言います。

『腹が立つと、自分の正しさを証明しようとして、相手の悪いところや非があるところを見つけ出そうとします。

そして、「悪いのは相手で、被害者は自分だ」と思い込み、ますます怒りの心が強くなっていきます。

このような時は、自分を傷つけた相手への仕返しに心を奪われるよりも、傷いた自分の心に目を向けてみましょう。

腹が立ったり恨んだりして、苦しんでいる心の底には、「頑張っているのに分かってもらえなかった」「もっと優しくしてもらいたかった」などと、傷ついている自分がいるはずです』と・・・。

私は怒りの感情というのは自分の中の「~しなければならない」「~すべきである」というような固定観念を「そろそろ手放しましょう」というシグナルであると同時にまた、人間として赦す訓練をするためには必要不可欠なツ-ルであると考えています。

“赦す”という行為は“怒り”があってはじめて体験出来るのですから・・・。

いずれにせよ怒りとは一生涯お付き合いしなければならないのかもしれませんが、それでもその怒りの感情の奴隷になるのではなく、生かすことこそ選択していきたいものです。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

「学ぶ教育」と「教える教育」

田口佳史氏(株式会社イメ-ジプラン代表取締役)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・

江戸時代では、6歳を迎えると、寺子屋、手習塾へ上がります。

いまも6歳から小学校に入学しますが、寺子屋と小学校の最大の違いは、「学ぶところ」か、それとも「教えるところ」か、であるといえます。

寺子屋と手習所には原則として始業時間をやかましくいうような規則はありませんでした。

また、授業も一斉に始まるということはありません。

各人各様に、自分に合った教科を習得するまで行い、これでよしとなって初めて次の教科へと進みます。

各自の性格や資質を尊重して、進み具合よりもむしろしっかり身につけたどうかを重視したわけです。

考えてみれば、この「学ぶ」か「教える」かの相違はとても大きいと思われます。

「教える」ことが主体であると、生徒の理解にバラツキが生じます。

教えるほうには計画があって、理解の浅い生徒がいても次に進まないわけにはいきません。

つまり、現行の「教える教育」は教師の都合優先になりがちなのです。

これに対し江戸期の寺子屋は、自主的・主体的な学びの場となっていました。

「発憤しなければ、自分から学ぼうとすること(自己啓発)はない。

言いたくてモグモグしているような、もう一息の状態にまで自分の考えを考え抜かなければ教えることはできない」。

つまり、教育の原点とは、生徒の側の学ぶ意欲にあるのであり、発憤させ、考え抜かせるのが教育なのです。

このように江戸期には考えられていました。

(清く美しい流れ/PHP研究所)

「人はあらゆる手段を使って、考えるという労苦を免れようとする」という言葉があります。

考えても答えがなかなか得られない・・・、そのうち、つらい、面倒だ、となり、誰か、答えを教えて!となります。

「常に考える」という行為は自分の人生に楔を打つようなもので、これを放棄してしまうと、主体性を喪失し、自分の信念を覆い隠してしまう結果となります。

これほど寂しいことはないでしょう。

考えることを楽しむための一つの方法は、まずは自分で“思考のプロ”と名乗ることが良いかもしれません。

つまり、自分で自分にレッテルを貼ること・・・。

“考楽家”でもいいでしょうし、“思考の大家”でもいいでしょう。

自分で自分に勝手にレッテルを貼れば、そのレッテルが全細胞にインスト-ルされ、自動的にそのような行動を開始するようになります。

一つの思考がまた、更なる新たな思考と結びつき、多様な思考を生み出していく・・・。

考える世界の奥深さ・・・、悠々と楽しんでいきたいものです。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

自分の城は自分で守れ

谷沢永一氏(文芸評論家)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・

長い人生のことであるから、思いも寄らぬ成り行きで、たいへんなピンチを迎える場合がある。

その時まず第一に決意を固めるべきは、万事なにからなにまで、自分の力でやってのけるという決意である。

世の中は人の根性を見定める人買いのマ-ケットである。

此奴(こやつ)は腹が据っているなと見れば買い、弱気で頼りないと見れば売り、その中間項はない。

それゆえ何を措いても自分が剛毅で難局に屈しない男であることを、明瞭に理解させなければならない。

それもすべて実行で示してこそ信用される。

城を守る秘訣は外側の石垣ではなく、内部の身のまわりの、親衛隊に必勝の信念を持たせることである。

城はいつも内部から腐って落ちるのである。

(創業者百人百話/海竜社)

危機に臨んで「頼るな」・「戻るな」・「恐れるな」とはスポ-ツ用品メ-カ-であるヨネックスの創業者、米山稔氏の言葉。

他人を頼りにする気持ちが少しでもあると、頭脳はフル回転せず、状況を打破することが出来ないようです。

さらに不退転の決意をし、起こり得る最悪のことを考え、書き連ねていくことで、不安や恐怖を成功への原動力とすることが出来ます。

「うまくいったら銭が儲かる。うまくいかなかったら経験が儲かる」とは木村勝男氏の言葉。

つまり成功しても失敗してもどちらでも儲けものなのだということ・・・。

これからは自分のメシは自分の力で稼ぐことが求められる時代です。

今までの自分資産を丹念に見つめ、それを利用し、お金を稼ぐ術を身につける、そしてさらに貪欲に新たな自分資産を創り上げていかなければなりません。

向上心がある人にはとても面白い時代になってきました。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

失敗と体験

蓮井昌雄氏(健寿ネットワ-ク会長)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・

「チャレンジしての失敗を恐れるな、何もしないことを恐れろ」

これは、ホンダの創業者・本田宗一郎氏が残した言葉である。

大過なく人生をまっとうすることも大事だが、大きな夢を達成するためには、挑戦しなければならない時もある。

チャレンジすればするほど当然失敗も考えられる。

「虎穴に入らずんば虎子を得ず」で果敢に挑戦するか、何もしないで安全地帯で過ごすか、それは人それぞれであるが、自己実現の達成には避けて通れない問題でもある。

私が、25年ほど前、若気のいたりで、株式投機の失敗により全財産を失くした時がある。

当時、何かと公私にわたって親しく相談にのっていただいていた将棋名人の升田幸三氏のお宅に伺った時のことである。

その時の言葉が今もって忘れられない。

師は、「おい蓮井よ、お前はもうそれで終わりか。もう立ち直れないの。人生これでおしまいか」と問い、私は「そんなことないです。従業員もいますし、また挑戦しますよ」と答えると、「じゃ、それは失敗じゃないじゃないか、失敗とは倒れたとき立ち上がるのを止め、2度と挑戦しないのを失敗というんだ。倒れても、また立ち上がり、前向きに挑戦するのは失敗とはいわない。それは体験というのだ。体験は大きければ大きいほどいい、頑張れ!」と励まされた。

挑戦した結果は、よしんばそれが失敗しても、考え方を変えればそれは体験という財産がのこる。

逃げないで前向きに捉えれば人間的な成長に繋がる。

(おいしい年の食いかた/日本地域社会研究所

著者の蓮井昌雄氏は「人生二元論」提唱者。

人生二元論とは、人生60歳までを一元(予選)とし、60歳以降を二元(決勝)として生きること。

そして二元においては無気力になり、投げやりな気持ちで生きる「死ニア」ではなく、気持ちを切り替えて前向きな人生目標を立てる「志ニア」になろうと呼びかけています。

まさに蓮井氏は人の心に火を燈す人生の達人。

ところで、自己実現の人生を生きると選択したのであれば、不安や、恐怖心、羞恥心といった見えないものに果敢に挑んでいかなければなりませんし、数多くの失敗も経験しなければならないでしょう。

自己実現の欲求が強ければ強い程、天から試練を与えられます。

本当はこれこそが天が最も人間に対して望んでいることでもありましょう。

齢を重ねるごとに様々なことに挑戦し、“出来る領域”を増やし、新たな道を創造していきたいものです。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

もし人生をもう一度やりなおすとしたら?

リタ・エメット氏(講演家)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・

もし人生をもう一度やりなおすとしたら?

ケンタッキ‐州ルイヴィル出身 ネイディ-ン・ステア

(彼女がこの一文を書いたのは85歳のときだった)

次の人生ではもっと思いきってたくさんのミスをする。

リラックスする。

しなやかになる。

この人生でも愚かだったけど、もっとおバカさんになる。

人の言うことをあまり真に受けないようにする。

もっと冒険する。

もっと旅行する。

もっとたくさんの山に登り、たくさんの河で泳ぐ。

もっとアイスクリ-ムを食べ、豆を食べるのを減らす。

実際に多くのトラブルをかかえこんでいるかもしれないけど、想像上のトラブルは減っているはず。

そう、私は一日一日、一時間一時間を分別臭く健全に生きているごく普通の人間。

そりゃ、こんなわたしにもそれなりにいいときはあったけど、人生をもう一度やりなおせるのなら、そういう楽しい瞬間をもっと増やす。

ほかには何もいらないくらい。

そういう一瞬一瞬があればいい。

毎日毎日、何年も先のことまで心配して生きるのではなく、一瞬を積み重ねていく。

わたしはどこへ行くにも体温計と湯たんぽとレインコ-トとパラシュ-トを持っていくような人間だった。

もしもう一度やりなおせるなら、この次はもっと軽装で旅をする。

もう一度生きなおせるなら、早春から裸足になり晩秋までそのままでいる。

もっとダンスに行く。

もっとメリ-ゴ-ランドに乗る。

もっとデイジ-の花を摘む。

(いまやろうと思ってたのに・・・/光文社)

名著「自分たちの人生」の中に次のような一節があります。

『「もし私の一生がすべて誤りだったとしたら・・・」以前には到底考えられなかったことが、つまり人生を過ごすべくして過ごしてこなかったということが結局のところ真実なのかもしれないと、ふと思った。

これまで、ほとんど感じとれない程度の衝動は即座に抑えつけてきたが、そういう衝動のほうが本物で、それ以外は偽物だったのではないか。

職責も、生活や家庭の切り盛りも、社会的あるいは職務上の関心も、みんな偽物だったのかもしれない』と・・・。

人生も終わりが近づいてくると、多くの人たちが「もっと冒険をしておけばよかった」と話すといいます。

冒険とは自分という人間がどれほどのものか取り組んでみようとする行為・・・。

そして、冒険をするには不安や恐怖心、羞恥心といった目には見えない存在と常に戦わなければならないわけですが、そもそも私たちの生きがいはここから生まれてくるのではないでしょうか。

今何歳であろうが関係ありません。

今から冒険の道を歩み始めても決して遅くはない・・・。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。