ベストテンは1位~10位ではなく、90位~100位を見る
中谷彰宏氏(作家)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
書店別のベストセラ-ランキングや音楽のヒットチャ-トに代表されるように、世の中の流行を把握するときは、いわゆるベストテン的な情報が1つの目安になる。
そういうランキング表を見るとき、ふつうは1位~10位あたりの上位陣の動きに注意を払う。
しかし、これだけでは流行の動きをとらえることはできない。
上位にランキングされているものというのは、すでに流行しているもの。
情報収集という意味でいちばん重要なのは、90位~100位ぐらいに何がランキングされているかということ。
そこには、上位から落ちてきた過去の流行と、これから伸びていく可能性を秘めた未来の流行が顔を出している。
ビジネスチャンスにつながる情報があるとしたら、90位~100位のランキングだ。
すでにベストテンに入っているものに目をつけたのでは、ビジネスとして食い込むどころか、自分がお金を払う立場になりかねない。
しかし下位のほうはチェックしていれば、まだ手垢のついていない新しい才能と出会えるかもしれないのである。
(中谷彰宏の情報塾/サンマ-ク出版)
中谷彰宏氏は言います。
「流行を先取りするというのは、将来を予測する作業ではなく、下位にランキングされているものを注意深く拾いあげていく作業のことであり、未来の流行というのは、すでに現在の中に隠れている」と・・・。
ビジネスとは次に何が当たるのかを見つけるゲ-ムのような側面もありますが、この中谷氏の視点は私たちに大きな示唆を与えてくれます。
90位~100位を意識するということはある意味、“多数派ではなく、少数派の意見にこそ耳を傾ける”ということでもあります。
次に何が当たるのか・・・、これを正確に予測することは難しいと言われていますが、中谷氏の言うように自分なりの視点を数多く持つことによって、それが可能になるのかもしれません。
あらゆる分野において、ランキングは1位~10位ではなく、90位~100位こそ要注意・・・。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
自分と他人は、バラとケイトウよりも違う
加藤諦三氏(社会学者)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
交流分析の本に「私はリンカ-ンであるという人はクレイジ-、私がリンカ-ンだったなら~という人は神経症、私は私、リンカ-ンはリンカ-ンという人は心理的に健康」と書いてあった。
私は、この文章の中でクレイジ-と心理的に健康については賛成であるが、神経症者については少し補足したい。
「私はリンカ-ンになろう」が神経症者である。
「現実の自分」を考えない。
「現実の自分」を無視する。
自分の位置が分からない。
そして地動な努力をしない。
神経症者の意志は、たとえ強固でも自己破壊的に働く。
そこで「私がリンカ-ンだったなら~」と嘆く。
さらに「私がリンカ-ンになれないのは、周りが悪いからだ」となる。
よく「自分を受け入れる」と言う。
私自身もよくこう書いてきたが、神経症者はそもそも「自分がなんだか分からない」のだから、自分を受け入れる受け入れない以前の問題なのである。
自分の位置が分かっていない人は、人を見ると自分と同じ人間だと思ってしまう。
自分はサルで相手は魚だということが分からない。
自分はサルで相手は魚だと分かるから、自分は泳げないということが受け入れられる。
泳げないということが分かるから、自分は木に登れるということに気がつく。
自分は泳げないということを認めないサルは、いつまで経っても自分は木に登れるということに気がつかない。
バラのそばに生えていたケイトウが、バラに「あなたは、なんて見事な花でしょう。
神々からも、人間からも可愛がられていますね。
あなたの美しい姿と、いい香りが羨ましいと思います」と言う。
すると、バラは「いいえ、私は、少しの間しか命がありません。
誰も折らなくても散ってしまいます。ところがあなたは、いつも花が咲いて、そういうふうに若々しく生きているではありませんか」と答える。
バラとケイトウよりも、人はお互いにもっと違う。
それなのに比較する。
(「弱さ」を「強さ」に変える心理学/PHP研究所)
「サルの水練、魚の木登り」という格言をご存知でしょうか。
サルは周りに言われます。
「木に登るよりも、水で泳ぐほうが偉いんだぞ」と・・・。
一方で魚も周りから言われます。
「水で泳ぐより、木に登るほうが偉いんだぞ」と・・・。
サルが木登り、魚が水練するのは当然ですが、サルが水練、魚が木登りを目指してしまったらどうでしょう・・・。
いつまでたっても心が満たされることはありません。
私たちはこのような見当違いのことをしてはいないでしょうか。
チュ-リップの種をいくら蒔いてもバラの花は咲きません。
バラの種をいくら蒔いてもチュ-リップの花もまた咲きません。
これらの話は、自分の位置を、または自分が何者なのかを知ることの大切さを教えてくれています。
これからは誰かと比較することにエネルギ-を注ぐのではなく、自分を知ることにエネルギ-を注いでいきませんか。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
あなたはどんな生き方をしたいのか
北尾吉孝氏(SBIホ-ルディングスCEO)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
私は当社への入社を希望する学生たち、二百~三百人と直接会って話を聞いています。
面接というと、普通は大学名を聞き、そしてクラブ活動でどういう役割をしていたかを聞く。
それから、志望動機を聞いて、同業他社との違いを聞いて、面構えをチェックする。
そういうパタ-ンが大半です。
しかし、私は他の多くの会社とは違う一風変わった質問をしています。
つまり、人間学的な立場から面接を行っているのです。
たとえば、私はこんな質問を投げかけてみます。
「あなたは人生の中で、どういうことに最も喜び、どういうことに最も悲しみましたか」
こう質問をすると、月並みではない、いろいろな答えが返ってきます。
「親が亡くなったことです。今、生きていたら親は非常に喜ぶと思います」というように、親に対する情愛を答える人がいました。
「大学に入ったことが一番嬉しかった」と答えた学生もいます。
その学生には、「その程度であなたは喜ぶの?大学に入るということがあなたにとってそんなに大事なこと?」と聞き返しました。
そうすると、彼はそこで改めて自分の生き方を見つめ直す必要が出てくるのです。
つまり、私の質問にどう答えるかで、その人が自分の人生をどれだけ深く考えてきたのかがわかる仕組みになっているのです。
それを知るために、こんな質問もしてみます。
「あなたこれからの人生を、どういう人生にしたいと思いますか」
その人間が今までどういう人生を送ってきて、これからどういう人生を送りたいのかを聞きたいのです。
ここがまず一番大事なポイントだと考えているからです。
面接での私の質問は、もちろん生き方だけにとどまりません。
幅広い視野を問うような質問もします。
「今、教育改革について議論されているけれど、あなたはどういう教育がいいと思いますか。あなたが受けてきた教育についてどう思いますか」
「今、日中関係が非常に悪くなっているけれど、どう思いますか。あなたが総理大臣ならどういうふうにしますか」
「あなたは国際性豊かな人間とはどういう人間だと思いますか。英語が話せれば国際的な人間ですか」
「今いろいろ質問してきたけれど、あなたは僕の質問をどういうふうに思いましたか、感想を言ってください」
この質問を、八人ぐらいの集団面接で全員にしています。
さらには、「みんながいろいろ僕の質問に答えてくれたけど、あなたは誰の質問に対する答えが一番印象深かったですか」と聞きます。
これらの質問をすると、面接を受けている学生は自分の答えばかり一所懸命に考えているわけにはいきません。
私は、他人の話も聞けて自分自身の意見もきちんと述べられる、そういう人間を採用したいのです。
今のような質問に対して自分の意見をきちんと述べられるためには、日頃から自己観察をして、自分自身のことをわかっていなくてはなりません。
己を知らない人が、どうして自らの将来を意識して変えることができるでしょうか。
私が本当に欲しいと思う人間は、いわゆる成績のいい優等生ではありません。
人間としてすぐれた可能性を持ち、仕事を通じて社会の中で成長していける人たちを採用したいと思うのです。
そういう人たちと一緒に、世の中をよい方向へと変えていきたいと考えているからです。
(何のために働くのか/致知出版社)
北尾吉孝氏は一番初めの会社、野村証券入社前の最終面接で、当時の役員が「君たちはうちに入って何がしたいのか」と聞かれた時にこう答えたそうです。
「私は就職を決める前に先輩諸氏から仕事についての説明を受けましたし、会社のいろんなお話しもうかがいました。
けれど、実際に働いてみるまでは、どこで何をやりたいかという希望はありません。
ただ、どこで働いても世界経済の中の日本経済、日本経済の中の金融機関、金融機関の野村証券というように、三つの側面で考えていきたい。
そして、その中で与えられた場所で粉骨砕身頑張ります」と・・・。
まさに大きな視点を持ちながら、自分の役割を自覚し、その場を全うしようとする仕事観・・・。
大きなことを言って、小さなことを疎かにするのではなく、大きなことを言って、小さなことを大切にする・・・。
自分は何者かを知るよう努め、同時に自分が今何処にいるのかも冷静に分析する・・・。
誰もがこのような仕事観を身に付けたいと考えますが、そのためには一体どのようにすればよいのでしょうか。
それは「あなたはどんな生き方をしたいのか」という質問を自分に常に投げ掛け、深堀することでしょう。
「あなたはどんな生き方をしたいのか」・・・、この質問によって自分の中に強固な軸を構築することが出来ます。
この軸を持つことが出来ればどんな時代になっても生きていけることでしょう。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
“大物”を大量生産した吉田松陰の教育法
草柳大蔵氏(評論家)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
師弟間に心の交流を起こさせたのが、吉田松陰の「松下村塾」ではないかと思う。
『私塾』という本の中に松陰の教育法が紹介されているが、『孟子』なら『孟子』を高杉晋作、伊藤博文、あの辺の足軽侍の子弟が習いにくる。
松陰は黙って、まず一冊ずつ読ませる。
そのまえに、自分がここがいいと思ったところに付せんを置いていけといって、みんなに和紙を細かく切って持たせる。
弟子たちはここと思うところに、つばをつけてそれをはっていく。
ところが、つばだからだんだんはがれてくる。
だから、晋作も博文も大急ぎで読まなければならない。
一冊読み終わると、「読んだやつからオレのところにこい」といって、付せんの入った本を持ってこさせる。
「おっ、高杉、おまえはここが大切だと思ったのか。おまえ、どうしてここが心に残ったんだ、いってみろ」という。
高杉晋作は、「私は、天下というものを考えるうえにおいてこの言葉が大事だと思う」
「そうか、孟子がこの言葉を使ったのは、こうこうこういう意味だ」といって、そこで初めて説明してやる。
つまり、理性も、感性も、父母の教えも、人格形成も、違った人間に同じものを読ませて、同じ講義を聞かせるのは教育ではない、何がその人間の心を染めたのか、その言葉について解説してやるのが師というものだ、というのが吉田松陰の教育哲学なのである。
(水は深く掘れ/三笠書房)
教育を考える上で噛み締めておきたい言葉があります。
画家の中川紀元氏の「生徒がリンゴをどう描いたかを採点するな。リンゴをいかに見たか、その眼差しを評価しよう」・・・。
さらにルソ-の「この世の中に、よくできる子とできない子はいない。学習の速い子と遅い子がいるだけだ」・・・、という言葉です。
その人なりの個を生かそうという教育において、違った人間に同じものを読ませて、同じ講義を聞かせることほど愚かなことはありません。
家庭教育、学校教育もそうですが、社員教育においてもこのような傾向が強いのではないでしょうか。
本来、教育に携わる人間は、教える教科の知識だけではなく、上は天文から下は地理の知識と、またさらには知識を見識に変える力が必要とされます。
多様性が叫ばれる時代、これからのリ-ダ-はまさに吉田松陰型でなければ務まらないようになることでしょう。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
「1000円で人を最高に幸せにする法」を考えてみよう
香取貴信氏(香取感動マネジメント代表)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
「これから、みなさんに大切な人にあげるプレゼントを考えてもらおうと思います。
まずは、プレゼントを贈る相手を考えてみてください。
使ってよいお金は一人1000円です。
この予算内で、大切な人が喜ぶプレゼントを考え、3時間以内に実際に買ってきてください」
これは以前に私が勤めていた会社で、サ-ビスマインドを高めるために行っていたフィ-ルドワ-クです。
3時間後、いろいろなプレゼントが集まりました。
そのなかに、私の心を熱くさせる「感動のプレゼント」がいくつかあったのでご紹介しましょう。
「うちの母にあげるプレゼントです」といって、ガ-ベラという花の球根を4つ買ってきたのは、北海道出身の男性。
30代後半の人でした。
「なぜ、球根を選んだんですか?」
そう聞く私に、その人は、「“なかなか帰れなくて、ごめんね。お盆には帰るから植えて育てておいてね”っていう手紙といっしょに、このうちの3つを送ろうと思ったからです」
「えっ!?でも、なんで3つなんですか?」
「これは内緒ですけど、一つは僕が自分のうちで育てます。
それで、夏に帰るときに鉢植えにして持っていき、夜に母が寝ているうちに、3つの鉢植えにその一つを足して4つにしておくんです。
もちろん、手紙も添えておきますよ。
“じつは、僕もあのときガ-ベラの球根を一つ育てていたんだよ。
これで、全部そろったね”って。
母はきっと驚くだろうな」
この話を聞いたとき、その人のお母さんに対するやさしさ、たった1000円の球根に託した熱い思いに思わず胸が熱くなりました。
(他の店が泣いて悔しがるサ-ビス/三笠書房)
香取貴信氏は言います。
『10万円、20万円のプレゼントであれば、商品そのものの魅力で相手を喜ばせることもできるでしょうが、1000円という制約がつくと、これは「商品の魅力」より、こちらの「気持ちの魅力」で勝負しなければなりません。
そこで必要になってくるのが、「人を喜ばせるための創意工夫です」』と・・・。
ある年齢になって振り返ってみると気づくことがあります。
高価なプレゼントは意外と記憶の中から消えていて、どんなに安価なものであっても、贈り手の“喜んでもらえますように”という一途な思いがそっと寄り添えられている贈り物はいつまでも記憶の中にあるということを・・・。
時には1000円ではなく、0円で喜ばれることは何か、さらには50円、100円で感動させることは出来ないか・・・、ということを考え、お客様のための“与える力”を引き出していきたいものです。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
ひとつのものを深める方法
岡本浩一氏(社会心理学者)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
ひとつのものを深めるには、なにかひとつのものを決めて、それを精密に学ぶということをやってみる。
精密トレ-ニングのひとつの手段として、深い模倣をすることが有効である。
文章に上達する方法として、昔から写文が有効だと言われる。
夏目漱石を学ぼうと思えば、万年筆で原稿用紙に「草枕」の冒頭などを書き写してみるのである。
書く速度でゆっくりと文を味わってみると、読んでいたときには気づかないいろいろな文章上の苦心に気づく。
わずか三十分書写してみただけで、目から鱗が落ちる思いをするはずである。
たくさん書写すると、ああ、ここで漱石は一度休みをとったな、とか、ここで日が改まったのではないかなどということがおぼろげながら想像できるようになる。
そしてその想像がだんだんはっきりしてくる頃、漱石の思考のリズムとでもいうべきものが身についてくるのである。
不思議なことに、同じものを書写した人どうしがこういう話をすると、ここで休みをとったと想像する箇所がずいぶん類似しているものなのである。
時間がなければ、ワ-プロで写してもよいと思う。
あるいは、声に出して読んでも、黙読するのとは全然違うという人が多い。
とにかく、ある程度時間をかけて、ひとつの作品、ひとりの作者とじっくり取り組んでみるのである。
ピアノ曲を練習する場合も、ある特定の曲のある特定の演奏家による演奏のCDなどを用いて、極力それを模倣してみる。
ここは、自分ならこんなふうには弾かない、という箇所があっても、それはそれとして、模倣に徹してみる。
微細なところも一度はそっくりに演奏できるまで粘って工夫してみる。
そうすると、模倣に苦労することがある。
その苦労を乗り越えようとしていると、それまでには見えていなかった指使いや、ちょっとした技法など、その人が独自に工夫しているものに突然気づくことがある。
あるいは、自分の解釈と合わない演奏でも、模倣しているうちに、自分とは異なる視点の一貫性が、突然、それこそ目から鱗が落ちたように、見えてくることが多い。
その過程で、いくつもの疑問が解けたり、洞察があったりする。
(上達の法則/PHP新書)
何事においてもそうだと思いますが、初心者と上級者ではものを見る深さがまるで違います。
ものを見る深さとは思考の深さとも言えると思いますが、上級者を目指すのであれば、まずは思考には深さ、レベルがあるということを知らなければならないでしょう。
そして、その深さの世界の一端を垣間見るために精密トレ-ニングが有効なのだと思います。
文章でも楽器でもそうですが、まずは自分が気に入った一人の人を徹底的に研究してみる・・・。
その人の癖までも模倣してみる・・・。
そうすると、私も楽器を演奏しますからわかるのですが、様々な視点を得ることが出来るように思います。
思考の深さとは視点の数でもあります。
視点の数が増えれば増えるほど、つまり思考が深くなればなるほど、人生をより一層楽しむことが出来ます。
常に深さを意識し、探求していきたいものです。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
欠点ではなく長所を見る眼が「あり方」の基本
木下晴弘氏(株式会社アビリティトレ-ニング代表取締役)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
上に立つ人間には長所を認める努力も求められる。
人にはそれぞれ個性があって、塾では講師も長所や短所を見極める訓練を行っている。
まずは相手を知ることが教育では大事だからである。
とはいえ意外にこれが簡単にできそうで難しい。
右のポケットにコインを何枚か入れ、子どもたちのいいところを発見するたびに、コインを反対側のポケットに移動するという訓練をすると、コインがなかなか移動しないのである。
良い部分を見つけることができない。
新人講師にこんな研修をする。
同じ正円がAとB、二つ描かれている。
Bは円の一部が視力検査マ-クのように途切れている。
両者を見せ「どちらが気になりますか」という質問を出す。
するとたいていはBを挙げる。
つまり何か不完全なもの、欠点のあるほうに人は目がいくということがわかる。
そこで言うのである。
「よくわかったと思うが、君たちは生徒を見るとき、Bを見ている。
しかし人間はAとB、必ず二つの面を持っている。
しかもAとBとは別個の二つではなく、本当は一つのもので、どちらから見るかで違って見えるのかもしれない。
たとえばコイツは鈍くさいやつやと思っている子は、見方を変えると慎重に事を運ぶという性質なのかもしれない。
ガサツな子どもだと思っている子は、回転の速い機敏な子どもだといえないか。
それを考えなさい。
だとすればAを見るほうがいい。
Aを見れば子どもへの接し方が変化し、そして子どものほうも君たちへの接し方を変えてくれる」
それでも生身の人間を前に実験すると、やはりコインがなかなか移動させられない。
良いところを見つけるのが難しいようだ。
だが心理学の実験でも「人間は自分に好意を向けてくれる相手に好意を返す」というのが定説になっている。
逆に悪意があれば悪意が返る。
だから講師としては生徒の成績を挙げたければまず、自分が担当する教科を好きにさせる必要がある。
教科を好きにさせるには先生、つまり自分を好きにさせる。
そして根本には自分が生徒の良いところを見つけ、先に生徒を好きになることだ。
(ココロでわかると必ず人は伸びる/総合法令)
人間関係の根本は「相手のことを好きになることだよ」とはよく言われていることです。
それでは相手のことを好きになることとは具体的にどのようなことなのでしょうか。
相手のことを好きになるということは、一見、その人の欠点と思われるようなことをプラスに変換すること・・・。
相手の良い所を探すというレベルではまだまだ好きになるとは言えません。
私たちに今一番求められていることはこの能力を磨くということなのではないでしょうか。
人間は未熟ですと相手の長所どころか、アラばかりをあげつらう傾向があります。
本来、齢を重ねるごとに、この能力を磨いていくことが出来れば、とても素晴らしい人生を創造することが出来るであろうことは想像に難くありません。
この社会は“人間”で構成されています。
“人を好きになる力”・・・、さらに磨いていきたいものです。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。