身分と職分
太田空真氏(生活デザイン研究所所長)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
現代のリストラ時代のサラリ-マンを見てみますと、「会社人」がリストラされていることに気がつきます。
会社人とは、会社に所属する「身分人」をさすのですが、それは、名刺がなければ自己紹介をすることができない人であるといえます。
「わたしの専門はこれです」というのではなく、「○○会社の○○です」と自己紹介をするサラリ-マンがリストラ要因だと考えられます。
その人たちには「身分」があっても「職分」がないのです。
日本企業は、ポストの数と組織を拡大することで、多くの部課長を誕生させてきましたが、その結果生まれたジェネラリスト中心の企業構造は、己の腕ではなくて肩書で仕事をする「身分人」を増やしてしまいました。
恵まれた企業に入るための勉強やその身分を獲得するための競争が日本の教育システムでした。
しかし、その戦いの勝者には「身分」があっても「職分」がなかったといえそうです。
それは、よい会社に所属することでよい給料をもらえる、というイメ-ジで結ばれた社会で、その「身分」だけのサラリ-マンが、今日リストラの危機にさらされているようです。
身分は他者から与えられるものですが、職分は自分で開発していくものです。
(『好い加減』な人生入門/河出書房新社)
教育哲学者の森信三先生は言います。
「学歴などというものに一切もたれないで、自分の身につけた実力一本でこの世を生きぬいてゆく・・・、やれ大学出身だの、どこそこの学校を出たなんて、そういう紙切れなどにもたれないで、真剣勝負の呼吸で生き貫いてゆく・・・。
さらに学歴、履歴、肩書というものにももたれるのではなく、本当の裸一貫で生き、自分は一体どれほどの人間になれるか、どの程度の実力のある人間か、一つ生涯をかけて試してみよう・・・、このような態度で生きてゆくのが、真にこの世に生まれた生甲斐のある人生である」と・・・。
今の時代は身分や肩書のみで勝負出来る時代ではありませんが、それでもいまだにそのようなものにこだわりを持っている人は多いように思います。
サラリ-マンでなくても自分の実績や肩書を誇らしげに、あるいはこんな肩書を持っている人たちと自分は知り合いなのだということを盛んに話す人、またはアピ-ルする人たちがいます。
このような人たちは本当は心の奥底に大きな劣等感を抱えているのでしょう。
他者と比較して自分が少しでも精神的優位を保っていないとバランスが崩れてしまうのかもしれません。
肩書が決して悪いとは思いませんが、やはり職分・・・、これからは「自分は何が出来るのか」・・・という側面の深掘りがとても大切になってくることでしょう。
幾つになっても履歴や肩書にもたれることなく、己の職分を全うする人生こそ歩んでいきたいものです。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。