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百歳を超えても「理想」を実現せんと精進し続けた日本彫刻家、平櫛田中

偉人から学ぶ人生の知恵

平櫛田中(ひらくしでんちゅう)編~

時は1868年、神道と仏教、神と仏をはっきり区別する神仏分離に伴い、仏教はいちじるしく衰退しました。

このことにより、仏教美術も破棄される運命となり、仏像の需要が減退し、仏像を彫る仏師の仕事も激減しました。

それは木彫の衰退を意味するものであったのです。

そんな中、多くの木彫家は時流に合わせて象牙彫に転じましたが、高村光雲だけは、木彫を守りました。

その光雲の弟子が平櫛田中だったのです。

平櫛田中の代表作として有名なのは、現在国立劇場のロビーに展示されている「鏡獅子」であります。

この鏡獅子の製作を開始した時、田中は歌舞伎座に25日通いつめ、場所を変え、さまざまな角度から観察したそうです。

実践、実践、また実践。

挑戦、挑戦、また挑戦。

修練、修練、また修練。

やってやれないことはない。やらずにできるわけがない。

今やらずしていつできる。やってやってやり通せ。

・・・という田中の言葉が響いてくるようです。

まだまだ田中が無名な時分、彫刻家たちが、作品が売れないと苦しさを訴えた時、後に生涯の師となる岡倉天心から「諸君は売れるようなものをお作りになるから売れません。売れないものをお作りなさい。必ず売れます」と言われていたようです。

この時、田中は、売れないものをつくるのは雑作もない、自分の好きなものをつくればいいのだ、と理解したようですが、後に、「省みて、先生に背くことの多いのを恥じます。まことに恐ろしいお言葉であると、しみじみ感じます」という言葉を残しています。

田中は「六十、七十は鼻垂れ小僧 男盛りは百から百から」とよく語っていたとのことですが、家族の証言によると、早起きで午前2時には起きて本や新聞を読み、6時から着物を着て洗面、朝食。

その後庭での30分間の散歩。

午前中は居間で本を読み、手紙を書く。

午後は書道。

就寝は午後9時という充実した日常だったようです。

百歳を超えてもなお自らの天職のレベルを向上させるため、丹念に新聞を読み、情報に敏感であった・・・。

「いまやらねば いつできる わしがやらねば だれがやる」という田中の熱い心の雄叫びを感じます。

また田中のエピソードとしては、「満百歳の誕生日を前に、30年分の材料を買い込んだ」ことや、「彫刻刀の刃味には、徹底的にこだわり、後に人間国宝となる宮入行平に彫刻刀や小刀製作を依頼しましたが、当初は、満足した刃味が得られなかった為、全てつきかえし、愛弟子のごとく宮入を徹底的にしごいた」ということなどが残されています。

百歳を過ぎても気魄を持ってこの世を生き抜いた平櫛田中・・・、この高齢化社会をより良く生きていくためのヒントを生き様で示してくれています。

これからの時代、田中の生き方は多くの人たちの道標となることでしょう。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

参考文献:遅咲き偉人伝/久恒啓一 平櫛田中Wikipedia