家訓第一条は上機嫌
木原武一氏(評論家)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
幸福とは、ひと言でいえば、心が上機嫌の状態にあることにほかならない。
「朗らかで陽気であることこそ、幸福の正真正銘の実体である」と、いつも不機嫌な顔をしていた哲学者のショ-ペンハウエルも言っている。
上機嫌であることは自分自身ならびに他人にたいする義務でもある。
ひとりきりでいるときにも、家族や友人知人のなかにいるときにも、不機嫌の襲来を受けることがある。
ひとりで不機嫌になっている自分を思いうかべてほしい。
それは自分で自分を苦しめているにすぎないことに気づくはずだ。
まわりに他人がいるときには、こちらの不機嫌な顔によって相手に不快な思いを与え、その結果として、相手を苦しめていることになる。
自分も他人も苦しめないということこそあらゆる道徳の基本原理である。
それでは、上機嫌であるためにはどうすればいいか。
心が上機嫌であろうと不機嫌であろうと、そんなことにはいっさいかまわず、機嫌の良い顔をすることである。
内(心)と外(顔)とはつながっている。
つながっているということは、たがいに影響をおよぼすことができるということである。
肝心なことは、内側を変えるには外側を変えるしかないということである。
心は顔で変えるしかない。
幸福論を著したアランは、幸福の秘訣は自分自身の不機嫌に無関心でいることだ、と言っている。
無視していれば、不機嫌などというものは、犬が犬小屋にもどって行くように、動物的な生命力のなかで薄らいでゆくものだ。
上機嫌な顔は家庭の平和の出発点であり、その成果でもある。
上機嫌な顔を目にするだけで、生きる元気が湧いてくる。
すべての家庭に次の一行を「家訓」として推奨したい。
「いつも機嫌のよい顔をしていること」
上機嫌は日々の生活の必需品である。
(人生雨の日の過ごし方 晴れの日の愉しみ方/大和書房)
1日を上機嫌で過ごすことほど難しいことはないでしょう。
「今日1日、上機嫌で過ごすぞ」と心に誓っても次の瞬間、不機嫌顔になっていたりします。
ドイツの詩人であり劇作家のゲ-テは「人間の最大の罪は不機嫌である」という名言を残しています。
不機嫌というものは自分も他人も、そして世の中をも一瞬にして暗くしてしまいます。
ただここで私たちが想い出しておかなければならないことは、自分が何者かによって不機嫌にされているのではなく、自分自身が不機嫌でいることを選んでいるということでしょう。
自分で選択しているのですから、反対の上機嫌を選択することも可能なはずです。
私たちは不機嫌を選択する自由も上機嫌を選択する自由も与えられています。
自分にとって心地好い方を意識的に選択すれば良いわけです。
それでもやはりせっかくの人生・・・、上機嫌を選択していきたいものです。
今日1日、どんなことがあっても「良い気分」で過ごすこと・・・、心がけていきたいものです。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。