納税日本一の真実
斎藤一人氏・柴村恵美子氏に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
一人さんは私たち弟子に、「税金は感謝して納めるんだよ」と言います。
しかし、世間の多くの人は、できれば税金は払いたくないと考えるのではないでしょうか。
あるとき、一人さんが突然、「納税日本一を目指すぞ!」って言い出しました。
私はそれを聞いて、そんなことができるのかなと思うのと同時に、なぜ売り上げではなく、みんなが嫌がる納税で日本一を目指そうとしたのかがわかりませんでした。
そこで私は、「なぜ納税で日本一なのか?」ということを聞いてみました。
すると一人さんは、税金を納めることについての、一人さん流の考え方を教えてくれたのです。
「多くの人は、せっかく稼いだお金を税金で持っていかれるのは損だって考えるんだよね。
それで、個人で儲かったら所得税よりも税率で低い法人税で払おうと考えて株式会社にするの。
それでさらに、税金払うよりも使ったほうが得だって考えて、高級車を買ったり、投資したりして、使うことばかり考えるんだよね。
世間では、会社経営は一応黒字にして、税金は抑えるのがいい経営だと思っている人がいるんだけど、税金を払わないことを良しとしている風習自体がおかしいの。
税金は払いたくないっていうけど、税金って“ショバ代”なんだよね。
神社とか駅前とかで露店や屋台を出したらショバ代払えって言われるでしょ。
それと同じで、この日本という国で商売をさせてもらっているんだから、ショバ代を払うのは突然なの。
それで俺がどういうふうに考えているかというと、この日本を俺の庭だと思っているの。
だから俺にとって税金は管理費みたいなものなんだよね。
国はそのお金を使って全国に道路を造ったり、維持していてくれるの。
そのおかげで俺の作った商品は、全国に送ることができるんだよ。
さらに言えば、税金って俺にとっては種をまいているのと同じなの。
たとえが悪いかもしれないけど、公務員の人たちって、俺に変わって日本という畑を耕して種をまいてくれる自分のところの社員みたいなものなんだよね。
そのおかげで日本全国が潤って、経済という大きな実を実らせることができるの。
そしたら今度はまた商売をして、その実を収穫すればいいんだよ」
(器/サンマ-ク出版社)
斎藤一人さんは言います。「税金を払いたくないとか、感謝して納められないっていう人は、それが『得なんだ』っていうところまで考えてないんだよ」と・・・。
この本を読んでみるとわかるのですが、本来、税金を納めることは得であって、納めないことの方が損なのです。
事業者があれこれと画策して税金を出来るだけ少なくしようとする行為・・・、これは天に向かって唾を吐くようなものなのかもしれません。
しかしながら税金は出来るだけ納めずにと考えている経営者の人たちの方がまだまだ主流派ですが・・・。
それにしても日本中が自分の庭で、公務員は全員、自分の社員。
さらには税務署は自分の監査役・・・。
スケ-ルの大きな人物は物事を見る“視点”も深くて大きい・・・。
何事においても物事の本質を見る眼を養いたいものです。
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うまさより「何を伝えたいか」
久石譲氏(作曲家)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
僕がオ-ケストラの指揮をするときでも、技術とは別のところで、「日本人がやるとどうしてこうなるのかなあ」と思うことがある。
例えば〈旅立ちの時~Asian Dream Song~〉という僕の曲がある。
中国のオ-ケストラで演奏すると、のびやかな実に大陸的な音を出す。
これは韓国のオ-ケストラでもそうで、大らかな感じが出る。
しかし日本のオ-ケストラでやると、ピッタリと合ってうまいのだが、どこかこぢんまりした感じになる。
そつがない。
このそつのなさは何なのかとよく考える。
音を出すことで何を伝えたいのか。
音楽をやることで表現しなければならないのは、そこだ。
ところが、技術的なところで自分の立派さを追い求め、そこに価値を置いているだけだと、どんなにうまくても、音楽にはならない。
「あなたは音楽をしているというけれど、気にしているのはピッチとリズムでしょう?」みたいなことになる。
それが、正確な演奏であることがすべてに優先した教育を受けてきていることによるものであるなら、日本の音楽教育のやり方は変えなければならない。
もちろん、僕が知っている日本人の演奏家の中には、本当に優れている人やオ-ケストラがたくさんある。
だが、他の国の演奏家と比べて、全体的に、「何を伝えたいのか」がわからない人が多いことも事実だ。
僕の中にもそういう部分がある。
オ-ケストラのスコアを書いても、とりあえず、立派なスコアに仕上げることを考えてしまう。
立派なスコアとは、いい音を出すように伝えるためのものでしかないのに、スコアとしての完成度を目指す感覚が出てしまう。
その瞬間、「ああ、ダメだな。典型的な日本人パタ-ンだな」と思い、軽い自己嫌悪に陥る。
(感動をつくれますか?/角川oneテ-マ21)
今の音楽教育は楽しく弾けることより、うまくなることを目指しているといいます。
その結果、上手に弾けるようにはなるのですが、自分らしい音を奏でることに関しては不得手な人たちを量産してしまった・・・。
上手に弾けるようになるのは、自分らしい音を多彩に表現するためです。
自分らしい音を奏でるためにはうまく弾くのではなく、楽しく弾くことが肝になるように思います。
楽しくの“楽し”という文字は天に向かって手を伸ばす、手押(たのし)からきていると言われています。
つまり楽しくというのは、手を伸ばして天の響きを感じることなのでしょう。
天の響きを感じれば感じるほど“自分らしさ”が表現されるようになり、楽しく弾けば弾くほど、“自分らしい”音になっていく・・・。
うまくなることも必要ですが、同様に楽しく弾けるようになることも大切です。
これは音楽の世界だけではありません。
ビジネスの世界でも同様です。
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運・不運
藤本義一氏(小説家)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
「運がよかった」「運がわるかった」「運が一向に巡ってこない」こういった言葉はよく日常に交わされるものだ。
切羽詰まった時には、運を天に任すなどという。
が、これはどうやら武士の群から生じたものらしい。
戦いに敗れたなら運がなかったという発想である。
つまりは諦めの時に口にして、自分を納得させたのだろう。
武士道ではこの言葉が通用しても、商人道では通用しないのが原則である。
これを明確に記述しているのが近江の豪商・日野商人の中井源左衛門家に代々伝わる初代の良祐氏の直筆である。
商人たる者は、運がよかったとか運がわるかったとかいう言葉を絶対に使ってはいけないというのだ。
えてして成功した人を羨んだり嫉妬したりして、「あの人は運がよかったからな」という商人は小商人以下だといっているのだ。
そういうことをいう商人は成功した商人の百分の一の努力もしていないと断言する。
その人の日夜の努力を考えたなら、そんな言葉は口に出せないだろうと諌めている。
この良祐氏の言は実に正しいという他はない。
運気、運勢、運営、運動、運命と“運”の熟語はかなりある。
が、運は運ぶ(はこぶ)ことなのである。
運ぶという文字は、軍隊が「しんにゅう」という大きな船に乗って移動していく状態である。
だから“運”は自らを運ぶ努力をしていないことには終生やってこないということを意味している。
運ぶエネルギ-を見せないかぎり運に巡り合わないということになる。
これはサラリ-マンとて同じことである。
運ぶということは相手に自分の存在を認識させることなのだ。
この“運ぶ”という行為を現代に用いて成功した人は多い。
チェ-ン展開をしているお好み焼きの“千房”もそのひとつだろう。
オ-ナ-の中井氏は、はじめは小さな店を構えて、お好み焼き屋をやっていたが注文はなく、売り上げは極めて少なかったという。
そこで、彼はなにをしたかというと、岡持を下げて近所を自転車で忙しく走りまわった。
空の岡持を手に走りまわることで、その店が忙しい、つまり出前が頻繁にある店だと町の人は思う。
やがて注文が殺到することになる。
自らの体を運ぶことによって店をイメ-ジ付けたわけだ。
運ぶという行為を馬鹿にしてはいけない。
運ぶエネルギ-がやがて信用を生んでいくのである。
運べよ、されば運は拓かれんというのは、どの世界にもいえるのではないか。
運は待っていても転がってこないのだ。
(よみがえる商人道/日刊工業新聞社)
運は待っていても転がってくるわけではありません。
まずは相手に自分の存在を認識させることが必要です。
相手に自分の存在を認識させるということは停滞している“運気”を動かすことでもあります。
運気を自らが動かすことによって、新たな出会いが生まれ、事業が好転するようになる・・・。
すべては動かすか動かさないかということです。
このように考えれば先の良佑氏が言っていたように商人たる者は、運がよかったとか運がわるかったとかいう言葉を絶対に使ってはいけません。
「運が悪かった」という人は自分は怠け者ですと宣伝しているようなものでしょう。
私たちは一生涯批評家として生き、臆病者であり続けることも出来ますし、一生涯行動家として生き、挑戦者であり続けることも出来ます。
一瞬たりとも気を抜かず、運気を動かすように努めていきたいものです。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
感謝の心を形に表す三つの「贈り物」
中井正嗣氏(千房社長)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
感謝やお祝いの心は、形に表さなければ伝わらない。
それが「贈り物」である。
私は贈り物には大きく分けて三つあると思っている。
一つはお金、二つ目は品物、三つ目は電話や手紙によるメッセ-ジ。
そしてつけ加えたいのが「身贈り[=見送り]つまり体を使う贈り物である。
石川洋先生の言葉に、「出迎え三歩、見送り七歩」がある。
私はお客さまが帰られるとき、忙しいときは別として、店頭でずっとお見送りすることにしている。
「身贈り」である。
そしてそのとき、心のなかで、「こっち向いて、こっち向いて」と念じるのである。
そうすると、不思議とお客さまは振り返ってくれる。
私が頭を下げると、手を振ってくれる。
私も手を振る。
すると、その方は必ずといってよいほどリピ-タ-になってくれる。
お客さまが帰られるときにかける言葉もそうである。
「ありがとうございました」だけでは一方通行で終わってしまう。
お客さまからも言葉が返ってくるようなお礼のいい方をしなければ、心はつながらない。
私はお年寄りのお客さまが帰られるときは、たとえば「おばあちゃん、お元気でね」と一言一言添える。
そうすると、必ず「ありがとう」という言葉が返ってくる。
茶髪の若者のグル-プには「お兄ちゃん、がんばってね」と声をかける。
すると「うん、がんばるわ」と応えてくれる。
カップルのお客さまには、女性のほうに、男性にも聞こえる程度の小さな声で「幸せになってね」という。
キザなように思われるかもしれないが、親が娘にいうような感じでささやくのである。
すると「ニコ-ッ」と笑みを返してくれる。
小学生ぐらいの子どものお客さまには、腰をかがめ、目線の高さで「しっかり勉強をせなアカンで」という。
そうすると、親もニコニコして、私のほうを半分見ながら「しっかり勉強するのよ」とやさしく子どもにいいきかせるものである。
どうしてそういう言葉が出てくるのかとよく聞かれるが、秘訣などはない。
これらはみんな親や親戚が身内にかける言葉なのである。
自分とかかわりを持った人たちが、一人残らずみんな幸せになってほしい。
私はそういう思いで声をおかけしているだけなのである。
(できるやんか!/潮出出版)
感謝を形に表すということ・・・、これはあらゆる人間関係を純化させていくことにつながります。
純化とは人から「もらう世界」から「与える世界」へと移行することです。
「与える世界」の住人の特徴として、すべての人を自分の家族とみなし接することが出来るということが挙げられます。
そんな人はより多くの人たちから支援され、そのエネルギ-で新たな世界へと押し上げられます。
感謝の心を胸にしまっておくだけではもったいない・・・。
感謝の心をもっと具体的な形に表現出来るようになればなるほど人生に深みが加わるような気がします。
最後に中井正嗣氏の「人が集まる十ヶ条」を紹介したいと思います。
~「人が集まる十ヶ条」~
「人が集まるところに」人は集まる
「夢の見られるところに」人は集まる
「噂になっているところに」人は集まる
「良いもののあるところに」人は集まる
「快適なところに」人は集まる
「満足の得られるところに」人は集まる
「感動を求めて」人は集まる
「人の心を求めて」人は集まる
「自分の存在感を認めてくれるところに」人は集まる
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
時には顔を上げて上を見ろ
川口淳一郎氏(衛星「はやぶさ」プロジェクトマネ-ジャ-)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
2010年の「はやぶさ」帰還以降、宇宙に対する世間の注目も高まり、若い人からよくこんな質問を受けるようになりました。
「宇宙の仕事に携わりたいけれど、どんな勉強をすればいいでしょうか」
「どんな本を読めばいいのでしょうか」。
私はきまって「何も準備する必要はない」と答えます。
宇宙研の後輩に女性の研究者がいますが、彼女は4年間文学部考古学科に籍を置き、大学院で航空宇宙工学を専攻しました。
何を準備しておけばよいかと考え出すと、その準備を徹底するための勉強をしたがる。
そしてひたすら学びを極めようとしますが、その先に将来が約束されているかというと、答えはNOです。
スティ-ブ・ジョブズは大学を中退してアップル社を立ち上げましたが、その理由は「大学に行っても読み書きしか教えられない」というものでした。
本当にやりたいことが本人に分かっていれば、いつまでも学びの場に身を置いておく必要はないのだと思います。
日本人はまず広くしっかりした土台をつくり、その上に何かを積み重ねていってピラミッドのようなものをつくろうとします。
私はそのやり方はダメだと若い人に話をします。
ではどうすればいいか?
竹槍でもいいから、まず高い塔を建てなさい。
最初は頼りなくてふらふらしているかもしれないけれど、それでもいい。
やがてその竹槍が太くなり、強靭な土台ができ上がっていくのです。
「高い塔を建ててみなければ、新たな水平線は見えない」というのが私の持論ですが、その原点になっているのは子供の頃、父から聞かされた言葉でした。
「足下ばかり見るんじゃない、時には顔を上げて見ろ」
一頭の牛が紐に繋がれて大草原にいる。
牛は紐の届く範囲の草を、黙々と徹底的に食べ尽くす。
しかし一度も顔を上げてみようとはしない。
顔を上げてみれば大草原が遥か遠くまで広がっていて、おいしそうな草が山ほどあるのに、そこに気づかないでいるのです。
同じような状態に陥っている人はいないでしょうか。
コツコツ学ぶことも必要でしょう。
しかし、知識は人類が何百年、何千年にもわたって蓄積してきたものです。
一人の人間がそれを完全にマスタ-するのは到底不可能です。
そこでまずは「こういうことがしたい」という明確なビジョンを持つ。
そのために英語の文献を読まなくてはいけない、だから英語の勉強をしよう。
夢や目標を叶えるためのプロセスは、そういう順番であるべきだと思います。
著者の川口淳一郎氏は宇宙航空開発機構シニアフェロ-。
科学衛星「さきがけ」「すいせい」などのミッションに携わり、あの「はやぶさ」のプロジェクトマネ-ジャ-を務めた人物です。
川口氏は「学びのプロ」になってはいけないと言います。
『学校などでの勉強は「材料集め」のようなもので、言うなればHOW(手段)の習得にすぎません。
のこぎりや鑿(のみ)といった道具を集めてその使い方をマスタ-したり、英語の本を読めるように勉強するということです。
しかし社会に出てから本当に大切なのは、そののこぎりで何をつくるのか。英語の論文を読んで何をするのかということ』なのだと・・・。
色々と学ぶことは素晴らしいことです。
しかしノウハウコレクタ-になってしまってはいけません。
学びはすべて自分の掲げた旗を生かすためにあるのですから・・・。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
「結果」と「プロセス」のどちらが大事か?
村山昇氏(人財教育コンサルタント)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
この問いに対し、「それはどちらも大事でしょう」と答えるのは簡単です。
が、そこで考えを止めてしまうと深くを見つめることができません。
そこで私は、あえて次の観点を重要視したいと思います。
「真に人をつくる」のは、プロセスである。
結果は確かに人を自信づけ、歓喜をもたらします。
その一方で、人を惑わしたり陥れたりもします。
「結果はウソを言うときがあるが、プロセスはウソを言わない」と言い換えてもいいかもしれません。
このあたりを考えるうえで、プロとして勝負の世界に生きる人たちの考え方は、とても参考になります。
彼らは、勝ち負けという結果を厳しく問われる仕事をしていながら、それでもプロセスの重要性を口にするからです。
米プロ野球メジャ-リ-ガ-、イチロ-選手は、次のように言っています。
「結果とプロセスは優劣つけられるものではない。
結果が大事というのはこの世界でこれなくしてはいけない、野球を続けるのに必要だから。
プロセスが必要なのは野球選手としてではなく、人間をつくるうえで必要と思う」
これは一般のビジネスパ-ソンについても、まったく同じように当てはまります。
会社員であれば組織から与えられた業務目標や事業目標があり、それを個々が達成することによって、会社は存続し、給料をもらうことができる。
また、自分の能力より少し上の目標を立て、それを達成することで自分は成長する。
ただ、組織のなかで結果を出すことのみが絶対化すると、周囲との調和を図らない働き方や不正な手段による達成方法を生み出す温床となります。
また、働く側にとっては、それが続くと、遅かれ早かれ消耗してしまう。
結果至上主義は多くの問題をはらんでいます。
イチロ-選手はこうも言います。
「負けには理由がありますからね。たまたま勝つことはあっても、たまたま負けることはない」
「本当の力が備わっていないと思われる状況で何かを成し遂げたときの気持ちと、しっかり力を蓄えて結果を出したときの気持ちは違う」
プロセスが準備不足であったり、多少甘かったりしたときでも、なにかしらプラスの結果が出てしまうときがある。
そうしたときの結果は要注意です。
結果におごることなく、足らなかったプロセス、甘かったプロセスを見直し、次に向けて気を引き締めてスタ-トすることが必要です。
(プロセスにこそ価値がある/メディアファクトリ-)
「結果」と「プロセス」とどちらが大事かというと、もちろん両方とも大事であることは言うまでもありませんが、著者の村山昇氏はこの「結果」と「プロセス」という概念に様々な視点を投げかけて読者を深い思考へと誘ってくれます。
村山氏は言います。
「結果を出して成功者になりたい、それは“自己実現”なのではなく、“利己実現”ではなかったか」と・・・。
私たちは何のために結果を出したいのか・・・、もう少し深く考えてみる必要がありそうです。
さらにサッカ-選手の三浦知良氏も「かなったか、かなわなかったかよりも、どれだけ自分ががんばれたか、やり切れたかがいちばん重要」、「成功は必ずしも約束されていないが、成長は約束されている」と語っていますが、物質的成功という結果も大切ですが、精神的成長という結果も大切であることを忘れてはいけません。
スポ-ツの世界でもビジネスの世界でも結果を出さずに生きていくことは出来ません。
しかし、人間を創り上げていく上でプロセスも同じように大切でしょう。
『「真に人をつくる」のは、プロセスである』・・・。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
自分を上回る目標をもつ
ピ-タ-・ボルグマン氏(ジャ-ナリスト)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
自信をなくした人や、強い自信をもてない人は、大きなことを望む資格がないと思いこんでいるために、大きなことを考えられなくなっているという難点がある。
こんな人たちが目標を定めると、その目標があまりに穏健で控えめで、簡単に達成できるので、それに挑戦する姿勢を完全になくす。
その結果、目標を達成したいという満足感も得られない。
あなたは自分を上回る目標をもちつづける必要がある。
アメリカの政治家であり元オクラホマ州知事のデイヴィッド・リイル・ボ-レンは、つぎのようなもっともなことをいっている。
「思いもしなかったものを、自分に発見させてやらなければならない。それがあなたを大きくし、限界の向こう側に押しやるのだ」
創造的視覚化を実行して、望みどおりの人間になってみよう。
すべてのお金持ちや億万長者・・・自力でなった人たち・・・は、最初はバ-チャルな世界にいて、そのあと現実の世界に移った人たちである。
あなたもまた人間として高いところをめざし、色つきのイメ-ジで考え、大きなものを見る義務がある。
また自分で億万長者になった、成功したすべての実業家は、最初は、「うちの頭のおかしい子」といわれつづけた犠牲者だった。
しかし、かれらはまず想像力という、広い倉庫からでるアイデアを信じていた人たちだったのだ。
人はだれでも生まれたときから、このような倉庫か納屋をもっている。
ポラロイドというすぐに現像できるカメラが、ある子どもの無邪気な質問から生まれたことがこのことをよく証明している。
その子は父親のエドウィン・ランドに、「どうして写真を見るのに、待ってなきゃいけないの」と聞いたのである。
このチャンスをものにした父親は、発明家になった。
かれは挑戦に応じようと決意し、熱心に研究して、カメラに瞬間現像室を組みこんだのだった。
(やっぱり、お金持ちをめざしなさい/実業之日本社)
「想像力があなたにそなわっているのは、役にたつためであり、つまり自分に役だつためなのだ。
想像力は欠くことのできない貴重な道具であり、そのうえ、まったくただ同然である」と著者のピ-タ-・ボルグマン氏は言います。
ここで私たちが今一度想い出しておかなければならないことは、物質的な成功はこの万人に、しかもただで備わっている想像力からもたらされるということです。
この現実の世界(見える世界)は、初めは見えない世界で形創られます。
創造は自分の外側ではなく内側から始まるということです。
私たちはこの力を使いこなすことにもっと真剣になる必要があるのではないでしょうか。
人間はもっと想像力をフルに活用して、思いもしなかったものを、自分に発見させてやる義務がある・・・。
何歳になっても心に刻みつけておきたい言葉です。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。