「仕事を創れ」が父の仕事
上島明子氏(美篶堂)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
「よく言われたのは、人の仕事を取るなということ。
とにかく製本業界って狭いので、親方は同じ業界の方を、同じ釜の飯を食った仲間ってよく言うんですけど、自分で考えて仕事を創れ、誰とも喧嘩しないで自分にしかできない仕事ができるようになれと言われた」
美篶堂の工場は長野と東京にあったが、平成15年に江戸川の工場を畳み、工場は長野で東京には店を構えることにした。
「どんどん仕事が減っていった。
工場を回していくために広告のチラシも作った。
それでも仕事量が減って。
それで親方の技術を生かしたオリジナル製品を作りだしたんです。
上製本の製本を皆さんに広く楽しんでもらえるのは何かなぁと思って、ノ-トやブロックメモを作りはじめました。
例えば、虹色のブロックメモは、うちはペ-パ-サンプルを作る仕事をしていたので、すごく綺麗な色紙が裁ち落としとして残るんです。
それが捨てがたく、塔のように積んであって、親方がときどきそれを出してきては自分の作品みたいなものを作っていたんです。
紙の断面でグラデ-ションを作って、絵画のようにして銀座で展示したりして。
その端材がまた残るんです。
それを今度はア-ト作品ではなく、日常で使えるものにならないかなって切り出して作ったのがブロックメモなんです」
自分たちにできることはどんなことだろうかと、必死に考え、商品をひとつひとつ作ってきたのだ。
「製本ってすごく小さなことなんですけれども、平べったい二次元の紙から三次元の本になる。一枚の紙から一冊の本が出来上がるんです」
(手仕事で夢をかなえる女性たち/淡交社)
「同じ業界の人は仲間である、だから業界の人と同じことをやり、喧嘩をするのではなく、自分にしか出来ない仕事を創れ・・・」これこそが名経営者のセリフでありましょう。
ところが今はどうでしょう。
大資本を持つ企業は力をもって、他人の商売を圧迫する・・・。
巨大な資本はある業界を独占するために損を出してでも安く売り、既存の会社に競争をしかけます。
このことにより中小企業は苦境においやられ廃業の道を辿っていく・・・。
で、その業界、市場を独占すると、今度は価格をつり上げていき、利益を独占する。
よく我が社は業界No.1を目指しますなどと言う社長がいますが、私はとてつもない違和感を覚えます。
これは「これから資本の暴力を開始します」と言っているようなものだと思うのです。企業とは公的なものではなく私的なもの、つまり自分のものであると思っている証拠でしょう。
これは一人が成功し、多くの者を路頭に迷わせ、多様性を踏みにじる方法ではないでしょうか。
ある業界に新たに参入する時はその業界の中でナンバ-ワンを目指すのではなく、オンリ-ワンを目指すべきでしょう。
そうなれば多様な企業で溢れ、業界自体も大いに栄え、安定することでしょう。
まだまだより規模が大きい、または従業員の数が多い、さらにはあらゆる所で宣伝していることが優れた会社であるというような風潮がありますが、それは全く違うと思います。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
企画書は1行
野地秩嘉氏(作家)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
アメリカ映画界に大物プロデュ-サ-の親子がいた。
父親はダリル・F・ザナック、息子はリチャ-ドという。
ダリルはハリウッドの名プロデュ-サ-の称号である「ラスト・タイク-ン」と呼ば「わが谷は緑なりき」「イヴの総て」といったアカデミ‐-賞受賞作品、「怒りの葡萄」「史上最大の作戦」といった話題作をプロデュ-スした。
息子のリチャ-ドもスピルバ-グの出世作「ジョ-ズ」を製作している。
そのザナック親子は鉄則を持っていた。
「映画を宣伝する時は一行にすること。一行で表現できない映画はヒットしない」。
鉄則にのっとって、リチャ-ドは「ジョ-ズ」を「美女がサメに襲われる映画」とし、ダリルは「史上最大の作戦」を「空前の金をかけた、空前のオ-ルスタ-映画」とした。
そして宣伝ポスタ-、予告編などのコンセプトを統一した結果、両作品とも大ヒットを記録した。
一行で表現される言葉は驚くほどシンプルである。
しかし、一行にこめられた表現力と説得力が企画書の魂になる。
企画書の一行とは内容のまとめではない。
企画書の一行とは読んだ人の脳裏に風景を映し出すことなのだ。
こうした一行を書けるようになるにはふたつの方法しかない。
他人の書いた鮮烈な文章を集めて研究すること。
そして、頭の中に浮かんだイメ-ジを文章化する訓練を怠らないこと。
そうした訓練を通じていけば、鮮烈な表現を自分のものとして使いこなせるようになる。その上で書かれた文章が、企画を通す力を持ち得る。
企画書の一行とは文字をいじくるのではなく、頭の中に浮かんだ映像を言葉にすること。
そして、相手の頭の中に同じ映像を映すことができれば、企画は結実する。
(企画は1行/光文社)
伝わる力は言葉数に反比例するという言葉があります。
伝わるには出来るだけ言葉を減らす必要がある・・・。
この書籍の中には現場から生まれた一行、ヒット商品の一行、組織を動かす一行、人生を書いた一行、ブランドを創る一行というように様々な切口からの事例が紹介されています。
たった一行で表現することが出来るようになるにはその裏に膨大な言葉たちの存在があることを忘れてはいけないでしょう。
その中からイマジネ-ションされた一行には思いが篭る、その思いが力となり、多くの人たちに伝わっていく・・・。
この一行で表現する力・・・、是非とも身につけておきたい技術だと思います。
ただこの技術はビジネスの場だけではなく、何気ない日常の会話、夫婦の間の会話などにおいても有効でしょう。
夫の立場からすると時には妻を説得せざるを得ない状況があるでしょう。
そんな時に、ただただ言葉を並べていくのではなく、キレのある一言が言えれば、簡単に説得出来るようになるかもしれません。
まずは「自分自身を一行で表現するとしたら」・・・、考えてみたいと思います。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
目が隣の人間や自分の国の中にしか向いていないのですよ・・・
高任和夫氏(小説家)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
独創の闘士 西澤潤一氏
「人間というのは大体考える葦ですから、頭の中に知識が入ってくると、お互いをつないでみたり比較してみたりし始める。
いろんな形でつながるとネットワ-クができるわけです。
そして、その隙間のところもだいたい類推がつきますから、ここのところをやってみるとこんなことが出てくる、とわかるようになる。
これが創造ですね。
とにかくバラバラな知識をネットワ-ク化していくようにならないと、アイデアが出てこないのです」
ところで数年間、暗記中心の受験勉強をやればどうなるか。
考えようとしない人間が誕生するのだ。
そして、その拠り所は、世間的に通用する権威や先例やブランドである。
官僚などの学校秀才がなぜ創造的な思考と無縁であるか理解できるというものだ。
さらに受験勉強は競争の原理が支配する。
「しかし、目が隣りの人間や自分の国の中にしか向いていないのですよ。
だから、隣りで少しでも早いやつがいると蹴飛ばしたくなる。
逆に、外国にはベタベタになっちゃうわけですよ」
後者については、たしか司馬遼太郎が興味深い指摘をしていた。
明治以来、大学は西洋文明の配電盤の役割を担っていたから、どうしてもよく理解せずそれに追従してしまう癖があるし、一方では日本のオリジナルなものを評価できないのだ、と。
西洋文明を紹介するという大学の歴史的使命はとっくに終わっているのに、いまだに外国にベタベタするとはいささか情けない。
しかし、もっともっと怖いことがある。
「考えない教育が広まると、自分の人生をいかに生きるかという人生観が生まれないわけですね。すぐ金や権力が欲しいと短絡してしまう」
(仕事の流儀/日経BP)
西澤潤一氏は光通信の開発で独創的な業績を挙げ、「ミスタ-半導体」、「光通信の父」と呼ばれる独創の闘士。
しかし当初はその着想が先進的過ぎて理解者に恵まれず、また同業研究者からも攻撃され、日本ではなくアメリカで先んじて開発に成功することも度々であったといいます。
西澤潤一氏はそんな人間の持つ独創性を評価しない日本人の悪い特性について、その最大の禍根は思考中心ではなく、暗記中心の教育にあるのではないかと考えていたようです。
私も思うのですが、人間は考えなくなると依存心が大きくなり、目先の利益のみにもっぱら目が行くようになります。
そして目先の利益ばかり追い求めるようになりますから、自分の人生観など興味が湧くはずもなく、益々享楽的な生活に拍車がかかってします。
これこそが人間の創造性、独創性をさらに弱める結果になってしまうように思うのです。
もっとお金が欲しいと思ってもいいのです。
しかし、自分は何者なのか?何のために生きているのか?そして何のために事業を行っているのか?ということをしっかりと自覚した上でお金儲けをするべきだと思うのです。
今現在、参議院選挙真っ只中ですが、既存政党の候補たちは選挙に当選することが目的になっているように思います。
でもそれは手段のはずです。
本当の目的は日本を豊かにするということです。
自分の独創性を引き出し、さらに他人の独創性を認められるようになるにも“考える”習慣を大切にしたいものです。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
アイデアの種「マッチ&ビルド」
羽根拓也氏(株式会社アクティブラーニング代表取締役)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
通勤途中でもできるアイデア発想力を鍛えるトレ-ニングがある。
「マッチ&ビルド」というこのトレ-ニングは、一見、何の関係もなさそうなものを二つ並べて、両者の共通項を探し、そこから新しいアイデアを探すというものだ。
たとえば、「お茶」と「コンピュ-タ」。
これら二つのものは一見、何の関係もなさそうだ。
しかし頭の中でさまざまな属性を抽出していくと、必ず何がしかの共通項を見つけることができる。
それをさらに展開させて、新しい発想を生み出す。
①まず「お茶」の属性を片っ端から出す。
②次に「コンピュ-タ」の属性にマッチするものが出るまで①を繰り返す。
③②で共通項が出たら、そこから新しいアイデアを構築する。
さっそく、①の「お茶」の属性からあげてみよう。
属性を出すとは、簡単に言うと、「お茶といえば?」と言われて思いつく言葉をあげるということだ。
たとえば「緑色」「飲み物」「体によい」など。
お茶に関係があるものなら何でもよい。
すると途中で「健康飲料」という属性が出てきたとしよう。
仮にあなたがコンピュ-タの長時間使用で目の疲労や肩こりで悩んでいたとする。
ここでピンとひらめく。
コンピュ-タの「不健康」という属性が「健康飲料」と結びつかないかと考えてみる。
「そうだ!コンピュ-タを使っている人に特化したお茶を売りだしてみるのはどうだろう?」。
たとえば、「目によい」成分を配合したお茶「PCリフレッシュティ-」。
パソコンワ-クが多いビジネスパ-ソンがちょっとコンビニに行ったときに、そんな言葉を目にすれば「お?これは」とひきつけられる要素になるかもしれない。
こうして、二つの全く関係のないものから一つのアイデアを生み出していく。
アイデアのネタはそこら中に転がっていると言っていい。
何でもかまわない。
目の前にある関係なさそうなものを二つ並べて「マッチ&ビルド」を繰り返してみよう。
(限界を突破する学ぶ技術/サンマーク出版)
通勤電車の中は思考力を鍛える道場であると言えます。
各曜日テーマを決めて15分、思考を躍らせてみるのはどうでしょう。
私も週ごとに大テーマを決めて、その大テーマを考えるために曜日ごとに小テーマを決めて思索を楽しんでいます。
ちなみに先週の大テーマは「マーケティング切口を考える」というものでした。
そして大テーマに基づいて、月曜日は「この商品はどのような人に喜ばれるだろうか?」、水曜日は「この商品の他の特徴はないだろうか?」、金曜日は「この商品のネーミングを変更するとどうだろうか?」という小テーマを設定しました。
もちろん何も浮かばない時もあります。
それでも思考の習慣は継続する・・・。
実際、実践してみるとわかるのですが、3ヶ月も経過すればその思考の蓄積はかなりのものになります。
これはとても素晴らしいことではないでしょうか。
羽根拓也氏の「マッチ&ビルド」も面白い手法の一つです。
二つの対象物に様々な視点を投げかけ、その組み合わせの妙を楽しむ・・・。
こんなことでも一生涯継続出来たとしたらどのようなことになるのでしょう。
考えただけでもゾクゾクワクワクしてきます。
電車やバスに搭乗している際の細切れ時間も大切な時間です。
出来る限り有効活用していきたいものです。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
落ちたリンゴを売れ!
箱田忠昭氏(インサイトラ-ニング代表)に学ぶビジネスを輝かせるためのヒント・・・
リンゴは寒い地方でよく生育します。
私がアメリカに留学していた頃の話です。
ミネソタで当時大きなニュ-スになった出来事があります。
リンゴを収穫しようという直前に大きなヒョウが降りました。
アメリカのヒョウは大きいものではピンポン球くらいあります。
直撃されたリンゴは地面に落ちて、表面にはヒョウの黒い痕がついてしまい売り物にならなくなったのです。
生産者は大変です。
「これでは売れるリンゴがない、どうしよう」と赤いリンゴを前にして青くなってしまいました。
さて、ここで終わってしまってはヒョウに打たれたから売れない、ダメだという否定思考になってしまうばかりです。
リンゴも売れません。
しかし、リンゴ農家にいた20代のジョ-ジという青年が「これはチャンスだ!」と考えたのです。
青年は手書きで看板を立てました。
そこにはこんな文句が書かれてあったのです。
「自然の恵みを受けたリンゴです!このリンゴは、数十年ぶりのヒョウに打たれた珍しいものです。おかげで甘みが増しました。ヒョウに打たれた証拠は表面の黒い斑点です」
ジョ-ジのリンゴはあっという間に売り切れてしまい、むしろ何もなかった年よりも売れたのでした。
もしも皆さんが営業の仕事をしているようでしたら、次のことを忘れないでください。
●並の営業は、客が必要のあるものを売ります。
●少し上の営業は、客が必要かどうか迷っものを売ります。
●そしてできる営業というのは、客が必要のないものも売ることができます。
(落ちたリンゴを売れ!/フォレスト出版)
有名な靴のセ-ルスマンの話があります。
靴のセ-ルスマン2人が南方の未開の地に靴を売りに行きました。
そこで目にしたのは、全く靴を履かずに生活をしている原住民たちの姿でした。
面白いもので、この状況を前に2人のセ-ルスマンの見方は分かれました。
1人は、「誰も靴を履いていない!これでは販売の可能性はゼロだ!」と・・・。
これに対してもう1人は、「誰も靴を履いていない!大きなマ-ケットを発見した!」と・・・。
“全く靴を履いていない”という状況に対して一方は「これは売れる!」と考え、もう一方は「これは売れない!」と考える・・・。
これは営業の世界のみならず人生にもあてはまるように思います。
私たちは自分の身に降りかかってきた現象を否定的にも、肯定的にも、また感謝でも捉えることが出来ます。
現象にはマイナスもプラスもありません。
捉え方によってマイナスの現象にもなるし、プラスの現象にもなる・・・。
そして、その捉え方によって感情も変わってきます。
仕事においてもそうですが、人生においてもプラス思考を自在に操り、起きてくる現象をあらゆる角度から楽しみたいものです。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
百歳を超えても「理想」を実現せんと精進し続けた日本彫刻家、平櫛田中
偉人から学ぶ人生の知恵
~平櫛田中(ひらくしでんちゅう)編~
時は1868年、神道と仏教、神と仏をはっきり区別する神仏分離に伴い、仏教はいちじるしく衰退しました。
このことにより、仏教美術も破棄される運命となり、仏像の需要が減退し、仏像を彫る仏師の仕事も激減しました。
それは木彫の衰退を意味するものであったのです。
そんな中、多くの木彫家は時流に合わせて象牙彫に転じましたが、高村光雲だけは、木彫を守りました。
その光雲の弟子が平櫛田中だったのです。
平櫛田中の代表作として有名なのは、現在国立劇場のロビーに展示されている「鏡獅子」であります。
この鏡獅子の製作を開始した時、田中は歌舞伎座に25日通いつめ、場所を変え、さまざまな角度から観察したそうです。
実践、実践、また実践。
挑戦、挑戦、また挑戦。
修練、修練、また修練。
やってやれないことはない。やらずにできるわけがない。
今やらずしていつできる。やってやってやり通せ。
・・・という田中の言葉が響いてくるようです。
まだまだ田中が無名な時分、彫刻家たちが、作品が売れないと苦しさを訴えた時、後に生涯の師となる岡倉天心から「諸君は売れるようなものをお作りになるから売れません。売れないものをお作りなさい。必ず売れます」と言われていたようです。
この時、田中は、売れないものをつくるのは雑作もない、自分の好きなものをつくればいいのだ、と理解したようですが、後に、「省みて、先生に背くことの多いのを恥じます。まことに恐ろしいお言葉であると、しみじみ感じます」という言葉を残しています。
田中は「六十、七十は鼻垂れ小僧 男盛りは百から百から」とよく語っていたとのことですが、家族の証言によると、早起きで午前2時には起きて本や新聞を読み、6時から着物を着て洗面、朝食。
その後庭での30分間の散歩。
午前中は居間で本を読み、手紙を書く。
午後は書道。
就寝は午後9時という充実した日常だったようです。
百歳を超えてもなお自らの天職のレベルを向上させるため、丹念に新聞を読み、情報に敏感であった・・・。
「いまやらねば いつできる わしがやらねば だれがやる」という田中の熱い心の雄叫びを感じます。
また田中のエピソードとしては、「満百歳の誕生日を前に、30年分の材料を買い込んだ」ことや、「彫刻刀の刃味には、徹底的にこだわり、後に人間国宝となる宮入行平に彫刻刀や小刀製作を依頼しましたが、当初は、満足した刃味が得られなかった為、全てつきかえし、愛弟子のごとく宮入を徹底的にしごいた」ということなどが残されています。
百歳を過ぎても気魄を持ってこの世を生き抜いた平櫛田中・・・、この高齢化社会をより良く生きていくためのヒントを生き様で示してくれています。
これからの時代、田中の生き方は多くの人たちの道標となることでしょう。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
脱覇道の人、恩田杢
偉人から学ぶ人生の知恵
~恩田杢(おんだもく)編~
恩田杢・・・。
史上最高の改革者・・・。
ケネディ大統領をして最も尊敬する日本人と言わしめた上杉鷹山にも、大哲人である二宮尊徳にも大きな影響を与えた人物・・・。
目も当てられない悪条件をものともせず、そして汚職役人をも善用し、見事に藩の財政を再建した人、恩田杢。
今、経済の世界も政治の世界も混迷の度合を強めていますが、このような時こそ恩田杢の言葉に真摯に耳を傾けてみる必要があると思います。
藩政改革にあたって杢が一番始めに行ったこと・・・、それは「覚悟」を示すことでした。
笠谷和比古氏の著書から引用します。
『藩政改革にかける不退転の決意、自分の人生は大きな局面にきているので、親族とは一切の関係を絶ち、妻には暇を出して親元に戻るよう命じ、子供たちは勘当するからどこにでも行けといい、家来には別の奉公先を見つけろと申し渡しているのである。
役職を遂行するには、相互信頼の確立が不可欠であり、そのために今後一切嘘をつかないと自分は決意した。
しかしながら、家族や家来にそれを強要するのは難しい。
まわりの人々は、たとえ杢が嘘を一切つかないといっても、家族や家来が嘘をついているのを見れば、やはり杢の言うことは信用できないと疑うだろう。
そこで、妻と別れ、家来を首にし、親戚と義絶することにしたのだと杢は打ち明けている。
また「平生飯と汁より外は、香のものにても」食さず、着物も「木綿より外は着用至さざる」ことに徹する』と・・・。
杢の改革も、当然、藩士や農民に負担と犠牲を強いることになります。
しかしながらそのためにも、杢はまず自らに厳しい戒律を課すことによって、改革政治に対して自分自身にどれだけの覚悟があるかを人々に披歴したのでした。
また、領民を集めて藩の財政が破綻していることを明らかにし、心痛の思いで謝罪し、そして今後は政治の運営に際していかなる虚言を用いなければ、一度取り決めたことについては決して違約変更をしないという誓言をしています。
この覚悟と謝罪からすべてが始まった・・・。
杢が目指したものは、即効的な財政収支の改善というよりも、もっと政治の全体に対する信頼や誠実さの回復であったようです。
人々の間に信頼関係を確立すること・・・、このことが根本にあるからこそ、藩財政の改善も領内の富裕化も図れるということを良く理解していたのでした。
ですから人々が荒廃から立ち直ろうとする意欲を引き出すことを最大の眼目にした・・・。
まさに財政改革の源流的日本人であり、愛の改革者であった・・・。
杢の著したものとされる「日暮硯」・・・、今、必読の書です。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。